中学高校とずっとバスケ部だったのですが、当時マイケル・ジョーダンはすべてのバスケ少年たちの憧れの的で、言葉では言い表せないほどの人気を誇っていました。
そのバスケの神様、マイケル・ジョーダンが、中国で「ジョーダン」の名称を勝手に商標登録されたとして争っていた件が決着しました。結論は、ジョーダン側の敗訴。バスケの神様も中国の法律には勝てなかったようです。
中国の乔丹体育という企業が、『乔丹』を含む複数の商標を中国で出願し、登録を得ました。『乔丹』は中国語で人名の「ジョーダン」を意味します。これに対してマイケル・ジョーダンは、自分の名前が勝手に商標登録されたとして、商標登録の無効宣告請求をしたものです。
なお以下の記事では「商標権侵害」となっていますが、本件は無効審決(無効宣告決定)に対する取消訴訟です
なお、本件無効宣告請求は、先だって行った異議申立が却下されたことを受けて、2012年に商標評審委員会に対してなされ、2014年4月に請求棄却(商標登録維持)の決定がなされました。これを受けて、ジョーダン側は今年の初めに北京市第一中級人民法院に審決取消訴訟を提起しましたが、そこでも敗訴しました。そのため、今年4月に北京市高級人民法院(日本でいう高裁)に上訴していました。
また本件とは直接関係ありませんが、訴えられた乔丹体育はこれらの訴訟等によりブランドイメージが低下し予定していた上場に失敗したとして、逆にジョーダン氏に損害賠償を求める訴訟を提起しています。
請求棄却。商標登録維持。
北京市高級人民法院は、
- 乔丹が必ずしも”Jordan”に対応するわけではない点、
- “Jordan”は米国で一般的な姓または名である点、
- “Michael Jordan”の中国語表記は「迈克尔·乔丹」であるが、「乔丹」のみの商標が「迈克尔·乔丹」や”Michael Jordan”を示すことの証明がない点、
を理由に、「乔丹」はマイケル・ジョーダンの名前についての権利を侵害しないと結論付けました。
また、ジョーダン側は、乔丹体育が下記の図形を用いていたことから、「乔丹」がマイケル・ジョーダンに結びつくなどと主張しました。
しかし人民法院は、このようなシルエットのみでは需要者はこの図形の人物がマイケル・ジョーダンであると判断できないとして、この主張を退けました。この文脈で、人民法院は、人格権たる肖像権が保護されるには、需要者が明確にその肖像を認識できなければならないことを指摘しています。
人名の Jordan は、中国語(簡体字)では乔丹と表記されます。なお、「乔」という字は、日本語では「喬」に該当します。
乔丹のピンインは qiáo dān (チィァオ ダン)です。これはJordan の音から漢字を当てはめたパターンですが、[dʒɔ́ːrdn]と[qiáodān]の称呼がどの程度類似するか(Jordanから乔丹がただちに導かれるのか)を真剣に検討すると、多少面倒かもしれません。実際、人民法院は「乔丹」とJordanが必ずしも一対一対応しないと指摘しています。
ただ辞書で調べる限り中国語の「乔丹」は人名のJordanに一対一対応しているように思えます。このあたりは中国語に詳しい方の意見をきいてみたいところです。
余談ですが、Jordanには人名(ジョーダン)と国名(ヨルダン)の2種類の意味があります。中国語では、人名の場合は「乔丹」、国名の場合は「约旦(yuēdàn)」と、表記も発音も異なります。この点については日本語と同じですね。
乔丹は中国で商標登録されるべきなのでしょうか。中国商標法では、以下の規定があります。
第32条(旧31条)
商標登録出願は先に存在する他人の権利を侵害してはならない。(後段省略)
日本の商標法と比べると、だいぶ規定ぶりが異なります。
まず、日本の商標法では、このような包括的な規定にはなっていません。商標法4条1項各号に、登録できないケースが個別に列挙されています。一方で中国法では、かなりざっくりとくくってあり、具体的なケースは個別の案件ごとに判断する仕組みになっている点が特徴です。
さらに、「先に存在する他人の権利」なる概念は、日本の商標法ではありません。ここにいう「権利」には、意匠権や著作権、企業名などが広く含まれます。企業名などは商標登録されていない場合も含まれますから、このようなものまで出願の排除効を有するのは、日本の商標法よりも厳しい規定ぶりだといえます。今回は人名である「マイケル・ジョーダン」がこの権利である前提で争われました。
マイケル・ジョーダンからすると、このような商標登録が潰せないのは非常につらいと思います。仮に先に自分で登録しようにも、不使用の問題があるので結局は意味がないことです。
人民法院は、要は「乔丹」と「マイケル・ジョーダン」が対応しないので、ジョーダンの氏名についての権利を侵害しない(ゆえに「乔丹」は商標登録されることができる)と結論付けました。ジョーダン側は、上述のようにシルエットからマイケル・ジョーダンが連想される点や、乔丹体育が背番号23番のユニフォームを販売していることから、需要者は「乔丹」からマイケル・ジョーダンを想起するなどと主張しましたが、認められませんでした。
たしかに「ジョーダン」は、米国で一般的な姓または名です。上記シルエットロゴからは、必ずしもマイケル・ジョーダンを想起できないという指摘も正しいでしょう。(ちなみにこのシルエットはNIKEが用いている下記の有名なシルエットを模倣したものと思われます。)
左:NIKEがエアジョーダンシリーズに用いたロゴ 右:乔丹体育が用いているロゴ
右の図だけを見てマイケル・ジョーダンを想起するのはたしかに難しい
バスケファンにとっては、このロゴはむしろ下記NBAのロゴを連想させます(まぁたいして似ていないのですが)。ロゴから「NBA」あるいは「バスケ」しか連想しないとすると、「乔丹」とこのロゴの組み合わせでは、NBAに在籍する他のジョーダン選手(例えば現役では DeAndre Jordan や Jordan Hill)をも想起するので、やはり「乔丹」とマイケル・ジョーダンが一対一対応しないという指摘には一理あるように思います。
NBAのロゴ。モデルは Jerry West
しかし、「ジョーダンという語」と「バスケ」の組み合わせでもマイケル・ジョーダンと対応しないとされてしまうと、もはや中国で自己の姓または名を他人に勝手に商標登録されてしまうことは防げないようにも思えてきます。乔丹体育は、「乔丹」は一般的な米国人の名前から取っただけで、マイケル・ジョーダンとは無関係であると主張していますが、さすがにこれは無理があります。中国ではバスケは日本に比べかなり人気のあるスポーツで、マイケル・ジョーダンは中国で最も有名な外国人の一人です。実際、下級審段階では、ジョーダン側は「「乔丹」という語を知っており、かつ真っ先にマイケル・ジョーダンを想起する需要者は、全国の63.8%にのぼる」という調査結果を証拠として提出しています。それでも、「乔丹」とマイケル・ジョーダンは必ずしも一対一対応しないからダメだというのですから、中国では、氏名ならともかく、ありふれたものの場合は姓または名のみを他人に商標登録されてしまうことは甘受するしかないといえるかもしれません。
しかし、中国商標法第32条では、人物の氏名についての権利は、その人の人格権を指すとされています。そうであるならば、必ずしも一対一対応のような厳格な基準を要求するのではなく、「乔丹」についての商標登録がマイケル・ジョーダンの人格権を損なうか、より本質的な議論があってもよいように思います。例えば、「乔丹」とマイケル・ジョーダンが一対一対応するかはそれほど重要ではなく、「乔丹」からマイケル・ジョーダンを強く連想するかどうかで判断すればよいのではないでしょうか。また本件では、マイケル・ジョーダンの著名性が判断にどれくらい影響を与えているのか不明です。仮に著名性が考慮されるのだとすると、マイケル・ジョーダンの著名性で足りないならばもはや全人類でこのような事例に対応できる人物はほとんどいないでしょうし、逆に著名性が一切考慮されないのだとすると、著名人の姓や名を不正な商標登録から保護することはやはり非常に難しいことになります。
なお、「乔丹体育」は中国では非常に有名な会社です。私の住んでいる義烏でも、近所のスーパーやコンビニではどこでも乔丹体育のボールなどを売っています。乔丹体育は1984年に設立され、その後これほど有名になり上場直前まで成長した会社ですから、中国国家としてこのブランドは守らなければならないという判断がはたらいたのかもしれません。そういう意味では、本件は多少特殊な事情があったのかもしれません。
仮に日本で『ジョーダン』なる商標が出願されたとしたら、どうなるでしょうか。
もし日本人の名前なら、ありふれた氏は登録になりません(商3条1項4号)。しかしジョーダンは日本ではありふれた氏ではないので、本規定をもっては拒絶されないでしょう。
本件の場合は、「他人の氏名の著名な略称」として登録拒絶になると思われます(商4条1項8号)。
商標法第4条第1項
八 他人の肖像又は他人の氏名若しくは名称若しくは著名な雅号、芸名若しくは筆名若しくはこれらの著名な略称を含む商標(その他人の承諾を得ているものを除く。)
「氏名」とはフルネームのことなので、「マイケル・ジョーダン」は、本人か、本人から許諾を得た人以外は登録できません。しかし「ジョーダン」は氏名ではないので、これに該当しません。氏または名のいずれか一方の場合は、それが著明な場合に限って本号に該当します。ジョーダンはマイケル・ジョーダンの略称として日本で著明だと思われるので、日本では本号を根拠に登録されないと思います。実際、「ジョーダン」の商標登録は、本日の時点で存在しません。
この規定は、上記私見で述べた「「乔丹」からマイケル・ジョーダンを強く連想するかどうか」という基準に近いものとなっているといえそうです。氏名の略称が著明なのであれば当然略称からその人物を連想するでしょうから、それを他人が勝手に商標登録すると人格権が損なわれると考えているわけです。
類似というほどではないのですが、同様に32条を根拠に登録性が争われた事例があります。
広州のステーキハウスが、上記ロゴを商標登録したところ、下記シカゴ・ブルズの著作権を侵害する商標だとして、NBAから異議申立及びその却下決定に対する不服審判を請求されました。
結局本件はその後中級人民法院を経て高級人民法院まであらそわれることとなり、最終的にNBA側の主張が認められて、上記商標登録は取り消されました。
著作権を侵害する商標だから登録できないという規定は、日本の商標制度の感覚からはにわかには受け入れられないかもしれません。日本では、他人の著作物であっても勝手に商標登録できることになっています(その著作物が周知な場合は登録できないこともあります)。その上で、著作権とぶつかる範囲の商標権の効力を制限するというバランスの取り方をしています。そうしないと、特許庁は審査段階でその商標が他人の著作物でないかを調査し判断する必要が出てきてしまいますが、商標の著作物性を判断するのは一般には難しいく、審査負担にも繋がってしまいます。
実際、上記事件でも、シカゴ・ブルズのロゴの著作権の帰属について延々と議論がされています。商32条違反を根拠にする無効審判では請求人適格が先行権利者または利害関係人に限られているため、著作権の権利の帰属が問題になるのです。異議申立、無効審判、中級法院、高級法院と争ってようやくNBAが上記ブルズロゴの著作権を有していることが認められました。
NBAがステーキハウスを経営する可能性は低く、自らの商標登録が現実的でないことから、こういう事態を防ぐには著作権登録をしておくことが有効だと考えられます。しかしすべてのロゴなどを著作権登録することも現実には難しく、また仮に著作権登録をするにしても、日本企業は日本で登録しておけば足りるのか、中国での登録が必要なのか(訴訟負担がどの程度軽減されるのか)、まだわかりません。
中国では、審査段階では先行する著作権等についての調査は行われないため、上記のような事例では一旦登録された後に異議申立や無効審判などで登録を潰すことになります。著作権に基づいて他人の不正な出願を排除できることはたしかに便利なのですが、著作権の管理を戦略的に行わないと実務上証明負担がかなり大きく、せっかく便利な規定も十分に活用できない点に注意が必要です。
上述のように中国商標法32条はかなりざっくりとした規定ぶりになっていて、どのような権利に基づいてどのような出願を排除できるかは、個別の事例ごとに、審判や裁判で闘う必要があります。しかしまだ事例が少なく、それらの基準が明らかになっていないものも多いようです。中国ではちょっとでも有名になり価値が出てくるとすぐに無断で商標登録されてしまうことがよくあります。国際的に活動する企業は常に最新の情報にアンテナを張っておくことが重要です。