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『フランク三浦』商標問題、最高裁へ

最近この話題ばかりですが、『フランク三浦』商標の有効性が争われている件で、フランク・ミュラー側が上告したというニュースが流れてきました。

上告が受理されれば、最高裁が両商標の類否を判断することになるでしょう。パロディに関する判例・裁判例が乏しい現状を考えると、是非最高裁の判断を見てみたいですね。

なにより当事者にとっては非常に大きな問題だと思います。もし無効の判断がなされたら、おそらく「フランク三浦」時計は今後販売できません。

誤解がないように解説を加えますが、いま争われているのは、商標登録の有効性です。最初に無効審判にて登録無効の審決がなされて、次に知財高裁で審決の違法性が争われました。今回の上告は、知財高裁の「登録維持」の判決を不服としてこの取り消しを求めるものです。すなわち、実質的に争われているのはあくまでも『フランク三浦』なる商標の登録を維持するかどうかであり、フランク三浦時計を売っていいかはそもそも争いの対象ではありません。

ただし、仮に今回最高裁が両商標が類似すると判断したならば、その後『フランク・ミュラー』の商標権の侵害について争われた場合に、そこで商標非類似の判断はかなりしづらいと思います。

理論上は登録時の類否判断と侵害時の類否判断が異なることはあり得ますが、侵害訴訟において「取り引きの実情」について相当強力な立証がなされないかぎり、最高裁の判断を覆す類否判断はできないと思われます。すなわち、フランク三浦時計は販売を継続するのはかなり難しくなります。

逆に商標非類似の判断がなされたら、今後フランク・ミュラー側はフランク三浦時計の商標権侵害を問うことは難しくなるでしょう。その場合は、盤面デザイン全体、あるいは時計の形態全体を商品表示として、不正競争防止法に基づく差止請求等をすることになると思われます。

このようにいろいろな側面で注目したい事件です。今後も気をつけて見ていきましょう。

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『フランク三浦』商標問題について考える

数日前になりますが、面白いニュースが出てきました。

超高級腕時計の『フランク・ミュラー』のパロディ商品として人気の高い、『フランク三浦』という腕時計のブランドがあり、これが「時計」等を指定商品として商標登録されていました(商標登録第5517482号)。

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これに対して、本家フランク・ミュラー側が無効審判を請求したところ、特許庁審判部は、これを無効とする審決を出しました(無効2015-890035)。これを不服として、フランク三浦側が知財高裁に審決の取り消しを求めていたものについて、知財高裁は請求認容の(すなわち商標登録は有効という)判断を下したというものです。

現段階ではまだ判決文が入手できないためソースはニュース記事のみになってしまいますが、まぁ知財高裁らしい判断かなという印象です。

今回主に争われたのは、商4条1項11号の該当性だと思われます。主引例として商標登録第4978655号(『フランク ミュラー』の標準文字商標)が挙げられ、これとの類似性が議論されたようです。

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日本では、パロディの商標を認めるかどうかという基準はありません。なので通常の商標として、両商標の類似性を判断することになります。(ただし後述するようにパロディならではの論点も多少あります。)

ざっくりみて、『フランク三浦』は「フランクミウラ」と発音されるので、称呼は『フランク・ミュラー』と類似するでしょう。そもそもパロディ商標なので、似ていて当然です。実際この点は特許庁審査・審判・知財高裁の各段階で共通の判断がされています。逆に、外観は一見して非類似でしょう。判断が難しいのは観念で、無効審判と知財高裁ではここで差が出ているようです。

審査基準によると、11号における商標の類否判断では取り引きの実情が考慮されることになっています。が、特許庁の審査段階では、単純に両商標を比較(離隔観察)して、外観や観念が異なるとして登録になったものと思われます。実際に、審査段階では拒絶理由は一度も通知されていません。

それが、無効審判では、称呼は当然類似するとして、観念についても『フランク三浦』からは『フランク・ミュラー』を想起するとして、類似性を肯定し、商標登録を無効としました。フランク・ミュラーの著名性を考慮しての判断です。

一方で知財高裁では、称呼は類似するものの、外観に加えて観念についても、「三浦」部分が日本人を想起させるとして、類似性を否定したようです。どうやら知財高裁は離隔観察の時点で商標非類似と言っているようです(判決文を読まないと正確なことはわかりません)。

この判決はさらに面白い判断をしています。上記だけでバッサリ「非類似」と切ってしまってもよかったのでしょうが(実際にそうしたのかもしれませんが)、知財高裁では両者の価格帯などに触れ、需要者が両商標を混同するおそれがないことを述べています。この「混同」が狭義の混同を指すのか、広義の混同まで含むのか、現段階ではわかりませんが、もし15号との絡みで出てきた議論なら面白いかもしれません。

11号の類似における混同とは、狭義の混同だとされています。つまり、フランク三浦の時計の出所がフランク・ミュラーだと需要者が混同するかというと、それはしないだろうと。だから両商標は非類似なのだという話ならば、それなりにしっくりきます。

一方で15号における混同とは、広義の混同までを含む概念だといわれています。つまり、フランク三浦の時計がフランク・ミュラーから出されているとは思わないにしても、日本における低価格帯向けの時計を製造販売する子会社や関連会社から出されているのではないかと需要者が思う可能性があるのであれば、15号に該当するとして無効にされるはずです。本件は15号にも該当しないと判断されているものですから、もし15号該当性の議論において知財高裁が「ミュラーは多くが100万円を超えるのに対し、三浦は4000円から6000円と安いことなどから、「(広義の)混同は考えられない」と」(同MBS)判断したのならば、この部分はさらに面白いネタとなるでしょう。このあたりは判決文が入手できるまではただの妄想です。

ところでこの判決は弁理士としてなかなか興味深いです。

実際にこの種の相談をよく受けます。仮に「フランク・ミュラーのパロディとして『フランク三浦』という時計を販売していいか」と相談されたら、どう答えたらいいのでしょう。「問題ない、GO!」とはなかなか答えられません。なにせ特許庁の審査及び審判、知財高裁で判断が分かれているのですから、事前に正解を予測しろというのは無理というものです。しかもこれは登録性における類否の議論です。侵害性における類否の議論ならどうなるか、現段階でもわかりません。

このような場合に、私は、どうしても使いたいなら実際に出願してみるようアドバイスすることがあります。出願してみて登録になれば特許庁のお墨付きを得られたとして登録商標を堂々と使用すればいい* ですし、登録できなければ類似商標ということでしょうから使用しなければいいです。商標出願は費用も安いですし、判断が出るまでの期間も4ヶ月程度ですので、複数の弁理士に何十万円もかけて鑑定書をもらったり、特許庁に判定を請求するくらいなら、出願して審査官に判断してもらう方がコスパがいいでしょう。

* ただし、後に無効となった場合には、仮にそれまで商標登録されていたとしても、使用していた期間の損害賠償責任を負うというのが裁判所の立場ですから、100%リスクを回避できるわけではありません。

このような方法を採った場合、本件のように審査段階で離隔観察により非類似と判断され登録になったとして、その後無効審判やその取消訴訟で取り引きの実情が考慮された結果、無効とされてしまうリスクが実務上どれだけあるかは非常に悩ましいところです。本件では審査段階と知財高裁が同様の結論だったので結果的にこのような問題は生じなかったのでしょうが、逆の結論のケースも当然考えられます。

現実問題として、特許庁の審査段階で取り引きの実情を大きく考慮することは不可能でしょうし、今回のように拒絶理由さえ通知されずに登録されてしまうと、出願人にはそのための資料を提出する機会すら与えられません。そういうことは事後的に無効審判で争えということなのかもしれませんが、コストの観点からは個人や中小企業には優しくない制度です。本件のように判断が分かれる可能性があるものについては、審査段階で一度拒絶理由通知を打っていただきたいものです。本件などは拒絶理由通知が打たれていてもよかったケースなように思います。

さて、この判決のニュースは話題になっており、弊所にも「パロディ商標って大丈夫なんですか」という問い合わせが既にありました。たしかに、これまでの日本での商標の争いをみると、フランク・ミュラーのような明らかに著名な商標の持ち主が負けるケースは珍しいように思います。多くの場合、著名ブランドが正義であり、真似をする方が悪なので、よっぽどのことがない限り著名ブランド側が負けることは少ないでしょう。

だからといって「有名ブランドも少しいじればパクってOK」というわけではありません。前述のとおり、日本ではパロディだからどうかという基準はありません。結局は両商標が類似するかを議論するだけです。その過程で、本件のように「需要者層が異なる」というパロディの特徴が結論に何らかの影響を与え得るという程度です。そのような中で、今回フランク三浦は、本気でパロディをしたからこそこのような結論を得たと考えていいと思います。なぜならば、「需要者層が異なる」ことが類否判断に大きく影響するのであれば、粗悪な模倣品についても類似商標が登録しやすいのかというと、そんなことはないはずだからです。

例えば、『GUCCHI』の偽物の『GOCCHI』というブランドがあったとして、これを付したカバンが3千円台で売られていたらどうでしょうか。それを買う人はまさか本物のグッチだとは思わないでしょうから、需要者層は両者で異なります。ならば『GOCCHI』を商標登録して販売することを認めていいかというと、そんなことはないでしょう。やはりパロディをやるにしても、離隔観察の段階で非類似だと判断される商標を選択しないと危険だということです。(そして非類似な商標でパロディをすることは難しいはずです。)

結局、パロディをするにも真剣にやらないといけないということです。フランク三浦は、本気でパロディをした、だから裁判所も許してやろうという結論を下したのだと思います。彼らは自ら時計を作り、しかもその精巧さや品質に定評があったと聞きます。そのような、そもそも特徴のある時計に、著名なフランク・ミュラーをもじった名称をつけて、しかも「三浦」という日本で一般的な姓を選んだことで、一種のギャグ/ユーモアとして評価できるレベルに達していたのでしょう。著名なフランク・ミュラーのブランド力を利用して偽物を売ろうとした事例とは違うということです。

ただ正直、釈然としない部分もあります。価格帯が異なるから需要者が混同しないと言いますが、ではフランク・ミュラーが大衆向けの1万円くらいの時計を売り出したら結論は変わるのでしょうか。

フランク・ミュラー側は、「信用や顧客吸引力への『ただ乗り』目的だ」(朝日新聞DIGITALと主張しているようで、これはまさにその通りでしょう。もし「フランク・ミュラー」という著名ブランドがない世界だったなら、「フランク三浦」はどれだけ売れたでしょうか。ただ乗りではあるが、商標法で保護される利益を損なっていないという判断でしょうか。いまいち納得できません。

それにこれはあくまでも審決取消訴訟です。侵害訴訟でも同じ結論となるでしょうか。さすがにこの判決がある以上、今後商標権侵害訴訟が提起されても、そこで商標非類似と言うのは難しいかもしれません。そういう意味で、フランク・ミュラー側はいきなり無効審判を請求するのではなく、侵害訴訟から入ってその中で類似性や商標登録の有効性を争った方がよかったかもしれません(いまだから言えるわけですが)。

また、不正競争防止法の訴訟ならば、フランク三浦が差し止められる可能性も決して低くないと思われます。仮に商標部分が非類似だとしても、文字盤のデザイン(※フランク・ミュラーの文字盤デザインはかなり特殊的です)もよく似ています。それを商品等表示として類似性が争われた場合、文字盤の類似性を凌駕するほどの非類似性が商標部分にあるかは微妙だと思います。おそらくフランク・ミュラーの著名性は揺るがないでしょうから、2号の適用があります。2号では、著名ブランドの品位を落としたり(ポリューション)、唯一的な地位を傷つけたり(ダイリューション)する行為も制限されるので、フランク三浦の時計はそれらに該当するかもしれません。

そういう意味で、フランク三浦がこのまま販売を続けられるかわからず、まだまだ微妙な案件だといえると思います。

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スキャン代行の著作権侵害訴訟、上告棄却で違法確定

タブレット端末や電子書籍リーダーの普及に伴い、従来の書籍(いわゆる紙の本)を裁断し、スキャンを代行するサービスが登場しました。ところが、そうしたサービスに対して、作家(著作権者)が著作権侵害(複製権侵害)を根拠にサービスの停止を求める訴訟を提起していた問題について、先日17日に最高裁が上告棄却の決定をしました。これによりスキャン代行サービスを違法とした知財高裁の判決が確定しました。

1) 原告(被上告人)代理人の福井健策弁護士は、自炊とは紙の書籍を自分でスキャンして電子データ化することをいうので、「自炊代行」は理論上あり得ず、表現として不正確なので、「スキャン代行」という言葉を用いる、という趣旨の発言をされており、本稿でもそれに従います。

本をスキャンして電子データ化する行為は、著作権法上の複製に該当します(著2条1項15号、同21条)。ただし、複製に該当する場合でも、それを個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内で使用(いわゆる個人使用)するときは、前記規定にかかわらず、複製できることになっています(著30条1項)。

今回問題とされたサービスは、本の所有者が本をスキャン代行業者に送って、代行業者が所有者の代わりに本を裁断・スキャンして、作成した電子データを顧客に送るというものです。スキャン後の書籍は送り返さずに破棄していたようです。こうしてスキャンする行為は個人使用には該当しないとして、著30条1項の要件を満たさず、ゆえに複製権侵害をするとして争われていました。

たしかに、条文の文言をみると、実際に複製(スキャン)しているのは代行業者であり、そしてその目的は「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」ではないことも明らかでしょうから、形式的に複製権を侵害するといえます。

しかし被告側は、(1)スキャン後には書籍を処分しているのでスキャン前後で著作物の数は変わっていないこと、(2)代行業者は本の所有者の補助者または手足に過ぎないこと、を理由に、そもそも書籍を複製していないか、仮に複製していても実質的な複製主体ではない、という趣旨の主張を行い、そもそも複製権侵害がないという主張をしていました。

また、上記(2)の主張をさらに著30条1項の規定と組み合わせて、複製の実質的な主体は本の所有者であるのだから、本件複製行為は私的使用の範囲であるという主張もしていました。

今回最高裁は上告を棄却したので、知財高裁の判断に特に新しい判断が加えられたわけではありません。知財高裁の判決言渡から約半年が経過しており、その間に多くの評釈が世に出されているので、本稿では法的な解釈には軽く触れる程度で省略させていただきます。

結論からいうと、知財高裁はほぼ形式論に従って複製権侵害の判断をしました。すなわち、(1)実際にスキャンを行っているのはスキャン代行業者なのだから、彼らが複製主体である。(2)そして、彼らはそれを営利目的の事業として行っているのだから、私的使用目的の範囲を超えて複製しているので、著30条1項の適用もない。ゆえに著作権侵害であると結論づけました。著作権法の条文の文言そのままであり、その意味で説得力のある判断です。

一方で、知財高裁のこのような判断に対しては、否定的な見解も多くあったようです。知財専門家の間ではむしろ、本件行為を複製権侵害とすべきではないとするものが多かったように思います。その理由は論者により様々なので一言ではまとめられませんが、本事案が過去の著作権訴訟に比べて特殊な事情を抱えていたことがひとつの原因だと考えられます。

これまで著作権の世界では、各ユーザーの行為が著作権侵害をすることは明らかだが、それに加えて、ユーザーの著作権侵害を助長するサービスを提供する者の著作権侵害も問えるか、という観点で問題が論じられることがありました。その中で、前述の「手足論」や「カラオケ法理」などの法理論が発展してきたという経緯があります2)

2) 例えば、著作権料を支払わないカラオケ機器を設置している店があったとします。著作権法上は、その店で歌った人が著作権侵害をすることになります(著22条)。しかし著作権者は、違法に歌った人をいちいち訴えていたらキリがありませんし、現実的ではありません。そこで、そのような違法行為を前提にしたサービスを提供したお店が著作権侵害をするという解釈はできないか、という文脈で発展してきたのがカラオケ法理や手足論です。

本件でも、代行業者を止めることでスキャン自体を止めたいという事情があったものと思われますが、実は本件は、本の所有者が自らスキャンを行った場合は、著30条1項の適用により、著作権を侵害しません。同じ本を所有者自らがスキャンした場合は著作権侵害とならないのに、代行業者を通じてスキャンすると(代行業者が)著作権侵害するという判断結果には違和感があるように思います。しかも、代行業者が得る手数料は、純粋にサービスの手数料であって、本来著作権者が得るべき利益を横取りしているわけでもありません(※実際に、本件訴訟ではスキャンによる損害賠償は請求されていません)。代行業者によるスキャンそのものに何らかの違法性を見出さないといけませんが、何かあるのでしょうか。

この点については、(1)スキャンデータ(ほとんどの場合PDF)にはDRM(コピーガード)がなく、一度電子化されてしまうとインターネットを介して無制限に拡散してしまうこと、(2)スキャン後に裁断された書籍がネットオークションなどで販売されるとそのぶん書籍の販売機会が奪われること、などが指摘されています。なるほど、これらは所有者が自らスキャンした場合でも変わらないとはいえ、代行業者を利用することで電子化される書籍の数や種類が大きく増えるという点には着目すべきかもしれません。著30条1項の趣旨は、個人が自分や家族など極めて限定された範囲内で使用する場合は、著作権者に与える不利益が小さい一方、そのような複製にまで逐一許諾を求めないといけないとすると権利者・利用者双方にとって負担が大きいため、例外的に自由な複製を認めようというものなので、代行業者が業務用機器などを用いて大量に複製するものまでは対象としないとする立場には一定の説得力があるように思われます(※この点は知財高裁でも指摘されています)。

ただこの論法だと、私的使用目的だが大量に複製する場合の違法性が問えるのかとか、そのような機器を個人に販売する業者は著作権侵害の責任を負うのか、という疑問もやはり出てきます(※現実にはいずれも否定されるでしょう)。本来は「私的使用目的かどうか」という基準がそもそも上述の矛盾を抱えているように思われますし、そのような矛盾の中で敢えて「私的使用目的」という基準が設けられていることを考えると、知財高裁が行ったように形式的に複製主体で判断するのもやむなしかという気もしてきます。あるいは個別の事例ごとに複製の違法性について柔軟な判断がなされればいいのでしょうが、現行の著作権法の枠組みでは難しいでしょう。

もしこれがスキャン代行(自炊代行)のみの問題ならば、それほど大きな問題ではないかもしれません。そもそもスキャン代行業の市場はあまり大きくないでしょうし、ほとんどの代行業者は他の事業の片手間にスキャン代行も行っていると思われるので、スキャン代行ができなくなったとしても、それ自体が社会問題となることはないのかもしれません。また、作家(著作権者)の中でもスキャン代行を排除したい人と受認したい人がいるでしょうから、とりあえず本件訴訟の原告による書籍のみをスキャンの対象から外して、今後も警告書が届くなどしたらその作家のスキャンをやめれば、スキャン代行自体は継続できるでしょう。

問題は、本件判決の射程距離が、書籍のスキャン以外の電子化代行サービスにまで及ぶのかという点にあると思われます。既にあらゆるものを電子データで保存する時代になりました。そうしたものの電子データ化において、どこまで著作権の問題に向き合わないといけないのかは、まさにいま日本の著作権法が直面している課題といえるでしょう。現行著作権法はデジタル時代に対応できていないとよく言われます。DVDのリッピングや、4K番組の録画制限などの問題も、その一例でしょう。本件判決の基準では、他人の著作物を複製する際は、あくまでも形式的に「個人的に又は家庭内その他これに準ずる限られた範囲内」で行わないといけないと言っているように読めます。書籍にかぎらず、電子データ化を代行するサービスはすべて複製権を侵害すると言わんばかりの内容です。そうだとすると、本判決の意義はかなり大きいと思われます。

結局のところ、電子書籍の世界はまだ成長途中なのだと思います。一見すると、紙の本なのか電子データの本なのかという違いに過ぎないと思えますが、我々が紙の本を買うことと電子書籍を買うことには大きな差があります。紙の本を買うということは、その本(物理的な意味での本)の所有権を手に入れることと同義です。一方で、電子書籍を買っても、通常はその電子データの使用許諾をもらうに過ぎません。例えばAmazonのKindle本を購入したとしても、そこで手に入れられるのは、その電子データへアクセスする権利だけです。仮に将来Amazonが電子書籍事業を廃止したら、ユーザーの手元に電子データは残りません(それ以降はその本を読むことができなくなります)。そういう意味で、紙の本を自分で電子データ化するという需要は一定程度存在し続けるでしょう。逆に作者側は、電子データの流通をコントロールできないような態様での電子書籍は排除したいと考えるはずです。本件訴訟は、浅田次郎、大沢在昌、永井豪、林真理子、東野圭吾、弘兼憲史、武論尊といった日本を代表する大作家・漫画家が原告となっています。当然裏では出版社が主体となって行動したことが容易に推察されます。紙で本を出している出版社が、DRMなしの書籍の電子データ化を防ごうとするのは当然ともいえます3)。今回の問題はそのような利害対立の中で生じたものです。

3) 個人的な感覚として、そもそも未だ電子書籍そのものに消極的な出版社が多いように思います。

スキャン代行が事業としてできないとなると、スキャン機器をレンタルする事業が出てくるかもしれません(既にあるかもしれません)。裁断機とスキャナを一定期間貸し出すサービスならば、複製を行うのはあくまでも本の所有者なので、どれだけ大量の本をスキャンしても著30条1項の範疇に落ちてくるでしょう(少なくとも知財高裁の判決からはそう読むしかありません)。こうした事業が盛んになり、自炊がより容易に行えるようになると、「紙の本を買う」→「スキャンする」→「裁断済みの本をヤフオクで売る」というサイクルが当然になるかもしれません。漫画などはそもそも市販の電子書籍もスキャンデータなので、紙の本を買って自炊する方に優位性がありそうです。そうなると、本はヤフオクで裁断済みのものを買えばよくなり、スキャン後にはまたその本をヤフオクで売ればいいわけですから、電子書籍の入手コストが限りなく安くなる可能性があります。もしそのような時代になったら、出版社はスキャン機器のレンタルや、裁断済みの本を販売することの違法性を問おうとするのでしょうか。そのような裁判が起こされたら是非結論を見てみたいものです。

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